◆品川お台場史2◆

品川台場の石材は主に伊豆半島周辺で産出されたものが使用され、土丹岩は三浦半島のものがつかわれた。

石垣は地震などで崩れないように、”ちぎり”と呼ばれる石と石の間に鎹が施された。

台場中央には台場守備隊の休息所と呼ばれる兵舎があり、

防御施設に欠かせない火薬庫、玉置所、玉薬置所があり、各台場に大砲の配置と関連して

台場内側に土塁を築き、火薬庫が2箇所、左右対称に設けられた。

これは火薬庫が不慮の爆発を想定してのものだ。



▲第5、第6品川台場の平面図(陸軍歴史)所載



▲左:第6台場の火薬庫  ▲右:第6台場の玉薬置場(昭和初期)



▲左:第3台場の波止場(昭和初期) ▲右:関東第震災前の第3台場休息所内部



▲関東大震災直後の第3お台場、中央の建物が休息所


◆品川台場の撤去◆

戦後の東京都は東京港を国際港としての港湾第二次計画を昭和34年に設定し、

貨物取扱量を1.500万tとする計画が立案され、船路の幅200m、水深10mと

規模を拡大する上で主航路の東に位置する第2台場が障害となり、撤去が行われた。

また、接岸設備の整備ということから、品川埠頭の建設は急務であったため

第1、第5台場を含む地区が埋立地区に該当し、両台場は埋め立て撤去となった。



▲第2台場撤去工事で発見された土台木、左後ろに第3台場



▲第2台場撤去工事/北面の石垣



▲右から第5、第2、第6各台場の空撮/第2台場の撤去がかなり進んでいる(昭和35年)

品川台場の撤去工事により発生した資材は、中央防波堤の根止めや、晴海埠頭公園の石垣などに活用された。



第3台場、第6台場のみ国の史跡として残されることなった。

現在第3台場公園として使われ、第6台場は立ち入り禁止となっており、

実際岩の浅場がつづくため、小型の船が近づくことも危険。


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